幅10mもの圧倒的な東北経鬼門譜(とうほくきょうきもんふ)、そして約150点もの圧倒的な数の作品を是非ご覧ください。


開会式後、石井頼子氏(棟方志功研究家)によるギャラリートークを開催いたしました。以下はその要旨です。長文になりますが是非ごらんください!!
・展示室に入って正面に見える「華厳譜」は、昭和11年に棟方が初めて制作した宗教的題材の作品。版画を始めてから十年ほどで、ここまでの技術的達成をみた。そこに至る大変な努力を考えると、胸が熱くなる。

・続いて、奥のガラスケースには、大作「東北経鬼門譜」の六曲一双屏風が堂々たる姿を見せている。昭和12年当時、志功のふるさと東北は、うち続く冷害、凶作により困窮を極めていた。日本の鬼門に当たる東北の地の救済を祈念して、自らの身を真っ二つに割って悪霊を通してしまう「鬼門仏」を中心に、左右対称に群像を配置した。両端の真っ黒な人物群は、この世に生まれることのできなかった水子たちである。そこから中央に向けて、徐々に光を浴び、中央の鬼門仏が、自己犠牲によって東北の人々を救済する、という構図である。柳宗悦にはこの棟方の思いは伝わらず、出来の良い3カ所だけを抜き摺りするように言われた。それに従って抜き摺りした3幅組のものもあり、それはそれで見事なものだが、やはり、この屏風装で棟方の東北への深い祈念を感じていただきたい。


・このたびは、石川県文化財保存修復工房様にお願いして、立派に表装していただいた。当初はまくりの状態で保存し、レプリカで表装しようという意見もあったが、石川県文化財保存修復工房では、棟方自筆の書き込みのある余白部分を切ることなく折り曲げ、その分の紙の厚みを、棟方旧蔵の和紙を使って補正するなど、細やかな配慮のもとに仕上げていただいた。棟方はこの大作を、東京中野の狭苦しい住まいで制作し、銀座鳩居堂での展観まで、期日がない中を急いで表装させた。屏風装され、完成した作品として姿を現した「東北経鬼門譜」を初めて見て、棟方は感激して泣き崩れたという。今回、自分(石井頼子氏)も同じ感激を味わった。

・「東北経鬼門譜」をはじめ、今回展示している昭和10年代制作の作品の多くは、濱田家(濱田庄司)旧蔵である。近年になって倉の中で見つかり、「これは個人で持っているべきものではない、どこか棟方ゆかりの施設に」ということで、破格の値で購入させていただいた。
・柳に伝わらなかったふるさとへの思いは棟方の中にくすぶり続け、翌年の「善知鳥版画巻」につながる。生きるために善知鳥の雛を捕らねばならなかった外ヶ浜の猟師が、死んで地獄の責め苦にあっていて、修行僧の回向によって妻子の前に霊として姿を現したが、我が子の頭を撫でることも許されない。今回展示するのは、よく知られた現行版ではなく、柳に改作を指示される前の、できたての、うぶな状態の旧版善知鳥であり、そういう意味でも貴重である。

・版画による絵巻物という作り方は継続した。「上宮太子版画鏡」は、井波瑞泉寺の太子伝などでこの地ではなじみ深い題材だが、疎開前の作品で、当地とは無関係に制作された。「慈航鏡版畫」は、上田秋成の小説に取材して、本当に紙芝居のようだ。「雨ニモ負ケズ」は、「板勁(はんけい)」という本のために制作された。「板勁」は、板木を活かして印刷されているため、棟方の実作だと思われているが、本当に板木から摺ったのはこちらの方だ。「神祭板画巻」は、戦時中で、皇室関係の表記には細かく気を遣わねばならない中にあって、「皇大神宮」という語を改行で二つに割ってしまい、主催者から撤去を求められた。棟方が、戦時中にこういう仕事をしていたことは知っておきたい。

・「法林經水焔巻」は、戦火の東京から来て、お祭りをしている福光の様子を、駅から疎開先の住まいまで描いたもの。松井先生の姿も、家族の姿も描いている。


・「般若心経頌対幅」は、母・さだの三十三回忌に向けて制作されたと思われる。福光時代以来の、全身に細かい文様を施す技法、また、観音の体の部分に墨で裏彩色を施していることが特徴。

スタッフ一同、皆様のお越しをお待ちしております。