

ISHIZAKI KOYO
1884 〉1947富山県福光町(現南砺市)生まれ。幼少の頃から画家を志し琳派の山本光一のもとで日本画の基本を学んだあと、京都画壇の重鎮竹内栖鳳に師事する。大正5年のインド取材旅行後、大正7年「熱国妍春」、翌年「燦雨」が連続して官展特選を受賞し新しい花鳥画を確立。以後大正・昭和を代表する日本画家として活躍した。
また、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)教授として後進の育成に尽力したほか、ヒマラヤや剣岳登頂など近代登山家としても名を残している。当館では、「燦雨」ほか、展覧会出品作を中心に華麗な花鳥画を多数展示する。
また、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)教授として後進の育成に尽力したほか、ヒマラヤや剣岳登頂など近代登山家としても名を残している。当館では、「燦雨」ほか、展覧会出品作を中心に華麗な花鳥画を多数展示する。