次回の企画展
会 期 2027年02月27日(土) 〜 2027年04月04日(日)
料 金一般800円/高大生210円
火曜日休館
内 容「父は幕府の碩学、師は四条派の重鎮。その男がなぜ、福光の木工業を生んだのか。」
菊池素空は明治6年、京都に生まれました。十代で望月玉泉の門下となり、明治18年に京都府画学校に入学、専門全科を卒業します。幸野楳嶺や岸竹堂らに日本画を学び、在学中に皇后陛下に作品が買い上げられるなど、若くして才能を発揮しました。卒業後は陶器の着画を学び、明治34年に京都市陶磁器試験所の技手に就任。当時、近代化に遅れをとっていた京焼において、最新技術の研究、職工の画力向上を目的とした研究団体「遊陶園」が結成され、図案については菊池素空が中心となって研究が行われました。遊陶園での研究によって、多くの優れた工芸品が産出され、京焼の再興と近代化を大きく進めましたが、菊池素空は生前、図案に署名を残すことがなかったため、実際の功績は今となっては辿ることが難しい状態です。
菊池素空は図案家として京焼の再興を牽引した人物でもありましたが、一方では大正期の福光の文化振興に深く関わり、日本画家としての足跡も多く福光に残しています。明治41年、山本宗平を顕彰する銅像建立のため依頼を受けた素空は、無償で原型の制作を引き受けました。それを機縁に、夏と冬の休みに必ず福光を訪れ、松村家の茶室「迎月亭」に逗留するようになります。また、明治43年に行った北欧諸国の視察で多くの農民芸術品を持ち帰り、福光に製作の場を設け、日本初の塗料で彩色した玩具・チョボ人形を作りました。これをきっかけとして、福光では木工業が盛んになります。大正2年には、福光小学校に奨学資金を設けるため、画会を開いて多くの作品を残しました。当時の支援者の元には、素空の優れた日本画作品や、署名の入った箱付きの陶器作品も残されています。
今も福光地域に多くの優れた作品や功績の記録が残されていながら、今日まで顔写真も知られていなかった菊池素空の業績を、 没後100年を迎えた今、約70点の日本画や絵付焼き物等を展示し、その生涯を紐解きます。
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《百花図》(左隻部分)