石崎光瑶

石崎光瑶略歴

明治17年(1884)
4月11日、富山県南砺市(旧福光町)7355番地に生まれる。
明治29年(1896)
東京から金沢に招かれた琳派の山本光一に12歳から師事する。
明治36年(1903)
京都画壇の竹内栖鳳の門に入る。
大正 7年(1918)
第12回文展出品作、「熱国妍春」が特選を受ける。
大正 8年(1919)
第1回帝展出品作、「燦雨」が特選を受ける。
大正 9年(1920)
第2回帝展に無鑑査作品、「雪」を出品する。
大正11年(1922)
第4回帝展に審査員となる。(4期審査する。)
昭和 8年(1933)
高野山金剛峰寺の襖絵の依頼を受けインドへ。(2回目)
昭和11年(1936)
京都市立絵画専門学校(現京都芸大)の教授に就任。
昭和22年(1947)
3月25日、脳溢血のため死去。(63歳)

「筧」

かけい
◎大正3年 ◎二曲一双屏風

石崎光瑤が30歳のときに描いた初期の代表作。第8回文展で褒状を受賞し、宮内省の買い上げとなった作品。裏箔屏風に卯の花と白百合が上品に描かれている。羽を休めるつがいの燕が、爽やかな初夏の風情を醸し出している。

作品写真

「燦雨」

さんう
◎大正8年 ◎六曲一双屏風

インドの熱帯風景を描いたこの作品は、石崎光瑤が35歳のときに描いた代表作の一つ。大正5年から6年にかけてのインド取材旅行の成果ともいえる作品で、第1回帝展で特選を受賞。花鳥画家としての地位を築いた。この名作は海外流出寸前に、多くの関係者の尽力で奇跡的に当館で収蔵された。

作品写真 作品写真

「雪」

ゆき
◎大正9年 ◎二曲一双屏風

第2回帝展に無鑑査出品された作品。作者が好んだ雪を題材に、作画の要素を加味し描き上げた。左隻と右隻の金銀の鮮やかな対比、一つの画面に俯瞰と水平など複数の視点が融合するなど、創意の跡をうかがうことができる。

作品写真

「寂光」

じゃっこう
◎昭和4年 ◎二曲一双屏風

石崎光瑤が45歳のときに描いた円熟期の作品。第10回帝展に審査員出品したもので、切箔、砂子を散らした画面に7羽の孔雀と樹木、月が巧みに構成されている。孔雀の羽根の茶と緑の対比に深い調和がみられ見事である。

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