館長の部屋

三浦雄一郎エベレスト登頂写真展

5月30日、オープンしました。
80歳にしてエベレスト登頂。いま83歳でかくしゃく。

 

    ほんとに、気さくな方。(左)
    男がほれるタイプ。

 

116枚の、貴重なドキュメンタリー。

大型プリント写真の迫力は、
やはり映像や印刷物とはちがう。
いつもと違う顔ぶれのお客さまでいっぱい。

電話での問い合わせが多かった。珍しい。

案じていたが、記念講演会はやはり超満員に。南砺との関係や、父親が棟方志功と同級生だったエピソードや、
棟方家とも遠縁であることなどの話で沸いた。
なかでも健康への努力が感銘を受け、著書もいちばん売れる。

ミュージアムショップは、きのうの棟方志功の絵手紙仲間の売り上げ記録を、
さらに上回る実績に。

サイン入り写真集を求められた方には、握手会。
れも行列。まるでAKBなみ?おかげさまで、まずは、幸先がいい。

新人の学芸員、宮崎クンの初しごとである。
チラシ、ポスターも自分のパソコンでがんばってデザイン。

若さっていい。皆さんのご指導を。 

絵手紙と棟方志功

全国に、絵手紙愛好者は100万人とされる。

その全国組織、絵手紙友の会会員は3000人。ことし5月28日に、第30回絵手紙友の会全国大会in富山が富山市国際会議場で開催される。申込み受付開始2日間で、予定の1000名に達して締め切る人気。北陸新幹線開業効果もある大コンベンションとなる。

絵手紙の創始者、小池邦夫さん(写真右端)は大の棟方志功ファン。「ヘタがいい、ヘタでいい」が会のキャッチフレーズ。福光美術館へも何度か。昨年26年9月13日の棟方志功の命日、愛染忌にお招きして記念講演をお願いしたところ、快く引き受けていただいた。遺影にもお参りいただいた。

第1回、第10回、第20回大会が、宇奈月温泉で開催されてきた。故広瀬秋夫さんの尽力と人柄による。第20回大会の折、棟方志功をテーマとした記念行事をアドバイス、大好評だった。富山絵手紙の会会長の、吉野仁氏(写真中央)から相談を受けた。福光新町の松村寿さんの紹介による。(写真・右)新町公民館での絵手紙展で。

ことしの第30回大会も、絵手紙の聖地、富山でと言うことに決まったのも、棟方志功への思いがあってのこと。そして、5月29日の観光を兼ねたエクスカーションには、大型バス4台で、福光の棟方を訪ねるツアーが予定されている。愛染苑もそのひとつ。ツアーコースでいちばん人気だとか。対応が大変であるが、ありがたい。ゆかりの地からの絵手紙による発信が楽しみ。

 

はじめての棟方志功展

 

北陸新幹線開業に先立ち、開会。

福光疎開で、棟方志功に何が起きたか。
その精神世界に正面から、踏み込んだ、はじめての企画展。

オープニング。田中市長挨拶から、テープカットへ。

 

待ちかねたように、どっと。

 

高岡善興寺蔵の「御二河白道図」は、目玉のひとつ。
本堂の暗い、高いところに掲出。
それが、眼前で見られる。つい最近、描かれたような鮮やかさ。

もう一つのお宝。白道舎襖絵と書。

棟方志功を真宗の他力本願の、宗旨に開眼させたのは、
南砺の吉田龍象さんの白道舎道場でのお座である。


講話に感動した棟方さんは、一気に襖絵と書を描きあげている。

 

記念講演は、大谷大学元学長  木村宣彰先生。

棟方志功とからめて、巷間使われている、
土徳ということばは、ふさわしくない、とも。

あまりの人気で、200人近くが聴講。
駐車場は満車。椅子が足りなくて、
事務所の椅子まで総動員する騒ぎ。
――
うれしい悲鳴。

 

 

 

 

瞞着(だまし)川(がわ)は見ていた

 遠く医王山をのぞむ蛍の名所「瞞着川」の夕景。

 

 昭和20年4月。東京は連日の大空襲が続いた。東京から

この医王山のふもとの石黒村法林寺(現南砺市)に 板画家の

棟方志功一家6人が、命からがら疎開してきた。

地獄のような日々から 一転して、このおだやかな福光の風

光は桃源郷のように映ったことだろう。大切な版木や民芸品

を灰にしてしまい、絶望のなかで棟方志功は、よし、この地

で新しく生きて行こうと決心した。

 青森生まれの棟方志功は、極度の近眼で水辺の小さな花や

生きものたちを愛した。山麓の仮住まいの家から、毎日のよ

うに手紙投函のため、福光の町はずれのポストまで歩いて通

う。30分は要した。

 田園地帯の途中に、豆黒川ともナマズ川とも地元の人たち

が呼ぶ小川がある。その土橋で一服するのが志功の日課みた

いなものだった。この川にはもともとカッパに騙されるとい

う伝説があり、志功は面白がって「瞞着川」と名付け、物語 

にして39柵の板画「瞞着川板画巻」を彫った。

 

 

 

名作「瞞着川板画巻」から25年後、病床にあった志功は

再びこの中から13枚を選び、刷り直して着彩し、安川電機

のカレンダーとした。

そしてこれが、生涯最後の作品となった。その作品解説の

文中には、自分の運命的な宇宙観を与えてくれた、この地に

感謝するという言葉を残している。

 

※まちなかギャラリー、萱笑のパネル原稿から

 

 

美術館の増築工事について

福光美術館では、10年來の念願でありました常設展示場と収蔵庫の増築に着手しました。議会などの諸手続きを済ませて、現在は基礎地盤の造成に入っています。楓の植樹がいい枝ぶりに育っていたのですが、移植が難しい樹種で残念ながら伐採しました。

取り付け道路と給排水工事など本格作業の前準備が結構大変です。隣の小山も伐採のうえ一部削っていますが、意外と岩盤が手強く難義です。

現在の2階の常設展示場は、いまも遠方からの団体さんで賑わっていますが、新しい常設展示場は1階隣接で、2倍の広さに生まれ変わります。北陸新幹線開業にはすぐには間に合いませんが(室内の湿気を抜くため)、棟方志功と石崎光瑤の2つの部屋が出来ます。

全国に、公立美術館は500館あまり。福光美術館の規模は中くらいに相当しますが、世界や全国に通用するパーマネント・コレクションと呼ばれる、常設展が2つもあるというのは極めて稀なことです。南砺市のゲートとしての貢献も期待されています。

3月の北陸新幹線開業に際しては、企画展示場いっぱいを使って、「大棟方志功展」を計画しています。福光で、世界のムナカタのこころに、何が起きたのかというテーマに挑戦します。お楽しみに。