館長の部屋

瞞着(だまし)川(がわ)は見ていた

 遠く医王山をのぞむ蛍の名所「瞞着川」の夕景。

 

 昭和20年4月。東京は連日の大空襲が続いた。東京から

この医王山のふもとの石黒村法林寺(現南砺市)に 板画家の

棟方志功一家6人が、命からがら疎開してきた。

地獄のような日々から 一転して、このおだやかな福光の風

光は桃源郷のように映ったことだろう。大切な版木や民芸品

を灰にしてしまい、絶望のなかで棟方志功は、よし、この地

で新しく生きて行こうと決心した。

 青森生まれの棟方志功は、極度の近眼で水辺の小さな花や

生きものたちを愛した。山麓の仮住まいの家から、毎日のよ

うに手紙投函のため、福光の町はずれのポストまで歩いて通

う。30分は要した。

 田園地帯の途中に、豆黒川ともナマズ川とも地元の人たち

が呼ぶ小川がある。その土橋で一服するのが志功の日課みた

いなものだった。この川にはもともとカッパに騙されるとい

う伝説があり、志功は面白がって「瞞着川」と名付け、物語 

にして39柵の板画「瞞着川板画巻」を彫った。

 

 

 

名作「瞞着川板画巻」から25年後、病床にあった志功は

再びこの中から13枚を選び、刷り直して着彩し、安川電機

のカレンダーとした。

そしてこれが、生涯最後の作品となった。その作品解説の

文中には、自分の運命的な宇宙観を与えてくれた、この地に

感謝するという言葉を残している。

 

※まちなかギャラリー、萱笑のパネル原稿から

 

 

瞞着(だまし)川(がわ)は見ていた” への2件のコメント

  1. 40年前の1975年9月13日に棟方志功は鬼籍に入ったのですが 同日に私達夫婦は仙台で結婚式を挙げました。青森出身の私としては縁浅からぬものを感じます。(志功の命日が私達の結婚記念日なのです)
    現在木工修行の為高山に住んでおり(来年の3月まで)めったにない機会なので本日伺おうかと思っております。

    2015年4月26日  

    • 福士さま ご連絡ありがとうございます。不思議なご縁ですね。留守をしておりまして失礼いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。奥野達夫