アートって何なん?~やまなみ工房からの返信~

滋賀県甲賀市に、「やまなみ工房」という不思議なところがある。ここに通うのは知的障害や精神障害を持つ方たちおよそ90人。ここでは一人ひとりがただただ、自分が自分らしく楽しく過ごしている、それだけらしい。絵を描き、粘土をし、刺繍をする、そんな自分らしい時間から生まれた作品が、今国内だけでなく、海外からも熱い注目を浴びている。展覧会のオファーはひきも切らないが、驚くことに、やまなみ工房のアーティスト達はもともと美術とは無縁だったのだ。そして彼らを取り巻くスタッフもまた美術を専門に学んだことなどない、というのがさらに驚く。ならばなぜここで世界に通用するアートが生まれるのか? アートはどこから生まれているのか? アートとはいったい何なのか? アートは私たちにとって何なのか? この渦巻く問いへの返信が、やまなみ工房から届いている。

この展覧会では38人のアーティストによる120点の作品と出会えるが、まず目を惹くのは会場の中心にずらりと並んで円を組む3000体の作品である。山際正己による「正己地蔵」。原初的な朗らかさと圧倒的な存在感に驚き、近づき、そして一体一体の表情の楽しさに心が浮き立つ。これらの地蔵は、山際正己が大きな声で自分で自分を褒め称えながら作られる。だからだろうか、見ていて「これでいいのだ」と楽しくなる。私たちは人の評価を気にし、誰かに褒められるだろうように動いたり、物を作ったりしがちだが、本当は誰に褒められなくったって、自分で自分を褒めればいいのだ。それだけのことなのだ。正己地蔵からそんな声が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

 

この全身が米粒に覆われたような鎌江一美に手による立体作品は、タイトルが全て「まさとさん」である。まさとさんとは、やまなみ工房施設長のことである。施設長に恋焦がれる気持ちから全ての作品が生まれているが、大好きな人に「大好き」と伝え、その気持ちを素直に形にしてゆくことはなんて素敵だろうか。世界で高い評価を受けている鎌江の作品である。

 

 

 

 

 

 

 

また70歳を迎えてから初めて鉛筆で絵を描き始めた井上優は、2メートルもの大作を次々と書き上げていく。「鉛筆は大作に向かない」とか「70過ぎたらこうだよ」という縛りから解放された朗らかさがある。気張って挑んいるわけではない。自分で自分を縛ってない、自然体でいるだけである。

 

 

 

 

 

 

 

そして一番にインパクトを与えてくるのが、このずらりと並んだ酒井美穂子のラーメンである。これが作品だろうか? と多くの人が不思議そうにじっと見入る。酒井は絵を描くことも、粘土をこねることもしない。「サッポロ一番しょうゆ味」の袋をくる日もくる日も、歩く時も、食べる時も、時にはお風呂に入る時もずっと両手で触っている。一日一袋触り終わると日付を書かれた付箋が貼られて大事に保管される。世の中では全く役に立たないカテゴリーに放り込まれるこの行為が、大切にされた瞬間に圧倒的な力を放つ。サッポロ一番が急に高価なものに変わったわけではない。変わったのは私たちの見方だけである。

 

 

 

 

 

 

 

ならば、アートって何だろうか?

やまなみ工房は作品が出来上がることを目的にしていない、と言い切る。作品を作らないのが幸せならば、作らなくてもいい、と言う。じゃあ何を目指しているのか。やまなみ工房は「ただどうしたら今日1日をみんなが楽しく過ごせるか」単純にただそれだけを考えているのである。ならばなぜ作品を作っていると一人ひとりが楽しく幸せなのかと言えば、「作品に、誰にも歪められない自分の愛する世界が表現されているから」である。大切なのは一人ひとりの「大好き」のある世界観であり、そのことを大切にする姿である。アートは作品ではない。自分の愛する世界を追求し続ける姿そのものがアートである。もっと言えば、その人そのものがアート。

私が受け取った、やまなみ工房からの返信である。

 

南砺市立福光美術館学芸員 土居彩子