棟方志功と家族

棟方志功と家族

なぜ、ムナカタは富山県へ来たのか。

世界的な板画家、棟方志功の作品と人物を知る上で、重要かつこれまでは詳しく語られていない空白の時代がある。それは、1945年から6年8カ月間、富山県南砺市(旧福光町)へ疎開していたときのこと。棟方の出身地は青森市である。なのに、なぜふるさと青森ではなく、東北から遠くはなれた北陸の富山県に疎開したのだろうか。

以前から民芸運動の盛んな富山に関心があったと言われるが、棟方に富山県を強く印象づけたのは、「善知鳥(うとう)」という能だ。生きるために罪を犯してしまう人間の業を描いた名作である。この作の前半が越中の国、立山が舞台で、後半が陸奥の国、外浜が舞台。外浜とは青森市の湾岸一帯である。そして、この能に惚れ込んだ棟方が「善知鳥」を題材に版画にし、1938年の新文展に出品、みごと特選になっている。版画で初の官展特選、棟方にとって忘れられない作品となった。同時に、立山に対して強い憧憬の念をもった。

当館前館長の奥野達夫は、疎開先に富山を選んだ本当の理由は立山にあった、と指摘している。棟方はNHK富山放送局に「立山連峰を望む海岸風景」と題する、富山湾の海面に浮かぶ雄大な立山連峰の油彩画を寄贈している。1948年ころ描かれた立山の絵は、棟方の立山への並々ならない思いを証明する秀作である(NHK所蔵、現在当館へ寄託)。

「善知鳥」当館所蔵

「善知鳥」当館所蔵