館長の部屋

常設展示場をリニューアルしました

築18年にもなると、設備にもトラブル。そこで2階常設展示場の空調をメンテナンスしました。

せっかくの機会を利用して、お化粧しなおしと、展示レイアウトを一新いたしました。具体的には、棟方志功の作品と石崎光瑤の代表作を、すっぽりと入れ替え。さらに、2つの間仕切りを合体させて大きい空間を確保できました。ウインドー内部の壁紙を張り替えて、さらに枠周りや天井と壁面をすべて新しく塗装しています。日本の色名でいえば「枯れ色」、枯葉の色です。光瑤の日本画、棟方の板画や倭画(やまとが)に会う色です。

実は、私が20代初めのころ、富山市のデスプレイ会社の社長に招かれて勤務したことがあります。社長は北陸照明学会役員や、塗装の世界の先生。インテリアのデザインにかかわったことがあり、今回の改装にその経験が役に立ちました。

スタッフの評判もすこぶる良くて「これがいつも見ていた作品とは思えな~い」と、びっくり。鑑賞のための空間が、こんなに大切なものかと認識を新たにしています。常設展示場の作品のグレードが高くなって、団体・グループのみなさんに解説するのにも力が入ります。照明もLEDに順次切り替えています。新しく?なった、棟方さんの二菩薩釈迦十大弟子に、ぜひご対面ください。

(ちなみに、この作品、テレビ番組「なんでも鑑定団」で1億円の値段がついて全国で話題に。よく電話で問い合わせがあります)

雪の鯉雨画斎

棟方一家6人が、 肩を寄せてこの家に。福光小学校のグランドの向こうにこの15坪の小屋。何百人の児童と先生が毎日見ていた。まわりは田んぼで医王山と桑山が目の前に見える。

        雪の鯉雨画斎(棟方住居)

そこで、ある小学生が一句。

大雪で 棟方志功 さぶかろう

児童たちにとっては、なにかと気になる家族だったらしい。この屋根裏で小学生だった棟方ちよゑちゃんは、せっせと少女雑誌「ひまわり」に詩を投稿し常連に。編集長から三羽烏と高く評価されている。のちに100部限定のガリ版による詩集が発刊され、石崎俊彦氏の遺品のなかからこのほど見つかった。ちなみにあとの2人とは、 中村メイコ。そして正田美智子さん、現皇后さま。お城のような正田邸は保存運動も空しく、先般取り壊された。

一方、数年保てばいいや、と志功さんも書いていた戦災罹災者むけ仮設住宅は65年後、「鯉雨画斎」として当時の姿のまま関係者の努力で南砺市に残る。 不思議な運命である。

◎福光美術館の<2階常設展示場>は、2月初旬までメンテナンス工事と改装のため閉じています。1階の企画展の「第11回なんと版画年賀状公募展」は19日(土)から。それまで全館休館いたします。(職員は出勤)

◎棟方志功記念館・愛染苑は通常通り開館しています。

石崎光瑤の大作屏風「鶴図」の寄贈を受ける

南砺市立福光美術館に、新しい宝物が加わった。前館長の佐々木光三さんへ兵庫県姫路市の元実業家、前田剛さん(83)から一通の手紙が届いた。15年前、石崎光瑤没後50年展が開かれたおりに、「鶴図」六曲一双の屏風が出品された。その大作をしかるべき場所に飾っていただければとの内容である。 財政が厳しい時節がら、買い取りはなかなか難しいのではないかと佐々木さんが電話されたところ、いや、寄贈したいとの意向だったという。その手紙を美術館へ持参されたので、館のスタッフが集まり当時の図録で作品の確認をする。早速おかきを手に姫路へ向かった。

元材木商を営んでおられた前田さんは、姫路市の青年会議所の理事長もされた声望家。駅まで自ら運転されて迎えていただき恐縮する。立派なお屋敷の奥の部屋で作品を拝見する。父君がある伝手で入手されたものだとのこと。

予想より大きく、ずっしりと重い。屏風を少しずつ広げると、金箔の表具に光瑤スタイルの裏箔の絹地に描かれた、大ぶりの鶴の群れが飛び出した。思わず息を呑む迫力である。支える手が震えた。100年近い年月を経ながら、つい最近描かれたかのような、保存状態に感動を覚えた。しばし、奥さまとも鑑賞しながら、ご主人の若き日の戦争体験などの苦労話を伺う。

この広大な屋敷を引き払い、神戸の御子息のもとで暮らすことになり、保管する場所がないし、この際この作品をぜひ多くの皆さんに見ていただきたいとのこと。館の所蔵する名品「燦雨」が、この名品を呼び寄せたのだと直感した。机の上には、佐々木館長からの出品証明書と、感謝の手紙が置かれ、その当時の展示がとてもすばらしかったと、昨日のことがらのように話された。前館長の誠実な人柄と、絆が今回の慶事に実を結んだことになる。諸手続きを済ませ、副館長が丁重に受け取りに出向き、現在は常設展示場に落ち着いて華麗な光彩を放っている。光瑤さん30歳ころの気迫が伝わる。

 

向井潤吉のミレー

秋の風情にふさわしい本格的な油絵展。東京でもなかなか見られない。まして地方ではめったにない機会です。世田谷美術館の酒井館長の特別なご配慮で実現しました。洋画を描いている作家や、熱心なファンがずいぶん遠方から見えています。3時間ぐらいじっくりと作品に向き合っている来館者もあります。

向井潤吉展で、こんな一点が。

 

戦前にパリへ留学。ルーブル美術館で模写。あのゴッホも、ミレーの油絵を何点も模写しています。

フランスなど欧米の超一流の美術館では、画家をめざす若者をとても大切にします。国宝級の名作をその前で模写を許可しています。東洋からやってきた無名の若者に対しても。向井潤吉もその一人。

ミレーの作品は小さなものですが、精緻な模写を見ただけで原画の素晴らしさがわかります。もちろん模写もすばらしいですが。

併せて富山市中央通りのギャルリ・ミレーも見ていただいて比較してみることも、おすすめします。これはすべてホンモノです。北陸銀行の協力で生まれた小さな町なかの美術館。わざわざ新幹線で、東京からこれを見るだけのために観光客がやってくる、中身の濃いスポットになるでしょう。

ミレーといえば、山梨県立美術館が先達ですが、富山市のギャルリ・ミレーには「羊を刈る人」という世界的な名品が飾られています。

向井潤吉の自宅が不審火で、数多くの戦前の模写が消失。有名な晩鐘なども。この作品は、難を逃れた貴重な模写です。

 

剱岳の見える民家のこと

世田谷美術館さんの格別のご配慮で、念願の向井潤吉展が開催できた。実はその中に富山県へ里帰りした作品が含まれている。

山雨来る部落

この作品は富山県中新川郡上市町の伊折集落で描かれた。剱岳への登山口にあたる、馬場島の手前で眼前に剱岳がそびえ立つ。向井潤吉も「日本じゅうでこれだけまとまった民家群がある場所は、ここだけになってしまった」と述懐している。正面に描かれたのが剱岳であろう。

富山市に住んでいたころよく飲み仲間と山菜採りに出かけた。岡本さんという方の家に泊めてもらったこともある。岡本さんのお父さんは長らく馬車曳きの仕事で毎日下の上市町まで通い、集落の用事を一手に引き受けておられたという。伊折の分校には東京の体育大学を卒業した新採の朝日町出身の若い先生が赴任していた。のちの女優、左時枝さんである。

伊折地区にはかって90世帯450人が住んでいた。主な生業は炭焼きだった。過疎がすすみ現在は住民がいない。しかし夏には地区出身者で獅子舞を復活させ、披露するのが恒例となっている。

また、もと富山県立近代美術館長、現西田美術館長の山口松蔵さんは、この地のご出身であり、ご自身も油絵を描かれる。

富山県立近代美術館がオープンする記念企画として、向井潤吉さんが選ばれて、この伊折を描かれた。今回の出品作品と構図が良く似ていて近美の所有になっているのも、なにかの奇遇といえよう。